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ユダヤ人のマルコ・ファインゴルトは1939年に逮捕され、アウシュヴィッツを含む4つの強制収容所に収容される。終戦後は、10万人以上のユダヤ人難民をパレスチナへ逃がし、自らの体験とナチスの罪、そしてナチスに加担した自国オーストリアの責任を、70年以上訴え続けた。本作はマルコの数奇な人生を通じ、反ユダヤ主義がどのように広まりホロコーストに繋がったか世界初公開のアーカイヴ映像を交えながら映し出す貴重なドキュメントである。“国家と人は過去の過ちを忘れている”と語るマルコのインタビューは、過去と地続きにある現在に警鐘を鳴らす。

1913年ハンガリーで生まれウィーンで育つ。小学校の教師が反ユダヤ主義者だったため登校を拒否する。1938年、ビジネスで滞在していたイタリアから一時帰国すると、アンシュルス(ドイツ=オーストリア併合)によって反ユダヤ主義が急速に広まる。1939年、ゲシュタポに逮捕され、1945年まで4つの強制収容所に収容される。終戦後はユダヤ人難民の人道支援と公演活動に取り組む。ホロコーストのオーストリア人最年長の生存者としてザルツブルクのユダヤ協会会長を長年務め、その功績に多くの栄誉ある章が与えられる。2019年9月19日にその生涯を閉じる。

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アウシュヴィッツ強制収容所

1940年6月にポーランド南部オシフィエンチムの郊外に建設された絶滅収容所。ユダヤ人の絶滅を目指し、42年の初め頃から推定110万人から150万人が殺害された。

ダッハウ強制収容所

1933年3月にミュンヒェンの北西約20キロにあるダッハウに建設。1938年「水晶の夜事件」をきっかけにユダヤ人が収容され20万人が移送され3万人上が殺害された。

ノイエンガンメ強制収容所

1938年12月に建設された北西ドイツ地域最大の強制収容所。移送者は再教育の見込みのある者とされたが処刑センターとして機能し4万2千人以上が殺害された。

ブーヘンヴァルト強制収容所

1937年7月にヴァイマル市北西7キロのブナの森の中に建設。23万人以上が移送され5万5千人以上が拷問や人体実験によって殺害される。

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