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「新生ロシア1991」トーク・イベント 2023年2月5日

ゲスト:金平茂紀氏(ジャーナリスト) 会場:イメージフォーラム

オンライン配信:第七藝術劇場

​テキスト:矢本理子(映画ライター)

公式プログラム

​オンライン注文

サニーフィルム 有田:

皆さま、本日はこの映画の上映にお越しくださいまして、有難うございます。私は配給をしているサニーフィルムの有田と申します。本日は、ジャーナリストの金平茂紀さんを招いて、トークイベントを開催いたします。本日は、大阪の映画館ともZoomで繋いで、ハイブリッドで行います。金平さんは、ちょうどいまご覧頂いた映画の、ソ連の8月クーデターを、当時、TBSのモスクワ支局長として、現地から報じていました。そのことを含めて、色々とお話頂こうと思っています。それでは、金平さん、ご登壇ください。

金平茂紀氏: 

皆さま、こんにちは。金平茂紀です。日曜日の好天気の日にわざわざ映画館にいらしゃるというのは、皆さん、マイノリティ中のマイノリティですね。セルゲイ・ロズニツァ監督の映画を、これまでに観た方もいらっしゃると思うのですが、今日は30分しか時間がありませんので。私が話せることを話します。もし皆さんが、これだけは答えて欲しいということがあれば、ぜひ介入してきてください。大阪の皆さんも、どうも。そちらにもぜひ伺いたかったです。

さて、映画をいま観終えたところだと思いますが、最初にお聞きしたいのですが、プーチンが出てきたシーンを、どのぐらいの方が気づいたでしょうか? これは、なかなか気づきにくいと思うのですが、フッテージとしては10秒ぐらいで。サプチャークという、当時のレニングラード市長が、「このクーデターを認めることは出来ない」と市民に呼びかける時、会場に入っていく際に、プーチンが真横にいたのです。あの時、「ワロージャ、ワロージャ」とサプチャークが呼びかけているんですが、ワロージャとは、ウラジミールの略称なんですね。サプチャークが、いかにプーチンを頼りにしていたかが解る、特徴的なシーンなのです。その際、プーチンが、顔を覆って出てくる。これは、諜報関係の仕事をしている人が、本能的に自分の顔が出ることを警戒しているからこその行動なのです。この短いシーンで、プーチンが、レニングラード市長のもとで、どのような仕事をしてきたかを、自ずとバラしてしまっている。もしかしたら、諜報機関の人がこの会場にもいらっしゃるかな(笑)? 最後列とかに、結構いるんです。たいてい、動きやすい靴を履いていてね。いや、いらっしゃっても良いのですよ。それにしても、プーチンに気づいた方が多かったですね。でも、顔を隠していたことにまで気づいた方は、ほぼ、いらっしゃらないのではないでしょうか。私は、いかにもプーチンらしい仕草だなと。彼の性格がよく現れていたと思います。

私は、1991年8月に、モスクワにいました。あの、ソ連崩壊にいたる切っ掛けとなった、保守派によるクーデター事件が起きた時、TBSのモスクワ支局長だったのです。1991年の8月19日ですが、まさか、あの日に、あんな出来事が起きるなんで、夢にも思っていませんでした。昨夏、元首相の安倍晋三さんが殺された時に近いような……。そもそも、クーデターって何なの? ぐらいな感じで。この国で、クーデターのようなことが起きるなんて、という感じでね。今だからバラしますと、あの当時、新聞社とか通信社とか、他の日本のマスコミ各社は、支局長クラスの方々が、モスクワにいなかったのです。なぜかと言うと、ロシアは労働者の国ということで、夏休みが長いんです。それで、8月19日なんて、皆んな、1ヶ月の休みをとっている真っ最中ですからね。ロシア人も、もちろん、モスクワにいない。まあ、僕はその年の3月にモスクワに行ったばかりだったから、同じ支局で働いているロシア人の同僚が数人、私のことを心配して、休み返上で仕事を手伝ってくれていたんです。8月19日の朝、いつもと様子が違って、妻が窓を開けて、「戦車が!」とか言っているから、何言ってるんだろうと。私たちが住んでいたアパートの横の通りを、戦車が次々と走っていくんです。これは現実なのか? と驚きましたね。当時、海外から来た特派員たちは、住む場所が決まっていて。クレムリンに直ぐ行ける、クズネツキー通りに住んでいたんです。今は皇后ですが、小和田雅子さんも、子どもの頃に住んでいた所なんですが。まあ、そんな感じで、当時は状況が解らないので、読売新聞のベテラン記者の方に聞いたら、「クウ」というんです。つまり、クーデター。それで慌てて、情報収集を始めました。その後は、職場に泊まり込んで、食事は、妻が炊き出しをしてくれて。色々な人が泊まり込んでね。あんなに寝ないで働いた日々は、それまでなかったですね。とにかく、何が起きているのかよく解らないので……。この映画「新生ロシア1991」のように、モスクワ市内もね。市民が街に繰り出したんです。

当時は、エリツィンがトップで。ロシア共和国の最高会議の議長で、そのビルが直ぐ近くにありました。ベールイ・ドームという、いわゆる米国で言うホワイトハウス。そこを守るために、市民たちが「保守派を許すな」と、バリケードを作り始めたんです。この最高会議のビルの対岸が、ウクライナ・ホテルなんですよね。そこで撃ち合いがあったり。1991年当時、モスクワの市民たちも立ち上がって。その時、皆んなが言っていたスローガンが「自由」です。ロシアはゴルバチョフが進めていた改革路線が行き詰まっていて、一部の保守派が、ソ連の消滅を恐れたんですね。自分たちが生きていく余地がなくなると思っていた訳です。レニングラードとまさに同じですが。彼ら保守派には危機的な状況でした。

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​金平氏の話を聞くために会場は満席となる

映画で、皆んながラジオを聞いていますね。あれは、テレビ局がすぐに保守派に制圧されてしまったからなのです。例えは悪いけれども、NHKみたいなものですね。国営放送ですから、御用放送しか出さない。「ゴルバチョフは健康上問題がある」とだけ発表して、理由は言わない。それから、国家非常事態宣言を出す。当時、ヤナーエフという副大統領が、大統領職を代行する、と。ゴルバチョフは健康上の理由で退いた、とだけ。それ以上の情報はいっさい言わない。まあ、そんなことを、市民たちは信じないので、皆んな“モスクワのこだま”というラジオを聞いて、街頭に出たのです。クーデターが成功するのか成功しないのか、というのは全く分かりませんでしたけれど、でもまあ、この映画を観ると、昨日のことのように思い出しますね。ただ、レニングラードとモスクワが、やっぱり違うなと思うのが、レニングラードのほうが、より開かれているというか、市民たちの自由度が違って、皆んなもっと生き生きしていますね。バリケードの作り方もそうだし。あと、決死隊を作っていましたよね。志願させてね。あと、レニングラードの市長のサプチャークですが、彼は当時の改革派の旗手だったのです。彼が生きていれば、そしてエリツィンの後任になっていれば、ロシアは今のような状況にはなっていなかったのではないかと思うのです。サプチャークはあの後、原因不明の死を遂げるんです。これ以上は言いませんけれど……。ただ、その、真横にいた側近がプーチンなのです。私は本当に、悲劇だと思っています。もし、サプチャークの改革路線が、ロシア全体を引っ張っていたら、今のようなことは起きなかったと思いますからね。

ロズニツァ監督の作品は、サニーフィルムの有田さんがイメージフォーラムで一生懸命、配給・公開されていて。「ミスター・ランズベルギス」とか、「バビ・ヤール」とか、「ドンバス」とか。あとは、スターリンの「国葬」とかね。それから、「粛清裁判」も。あれはスターリン時代の、改革派への弾圧裁判ですよね。ああいう作品を、ここの劇場で観てきて、凄いなぁと。やはり、ロズニツァという、ウクライナ出身の監督が、強く訴えてくる。その最中に、ロシアのプーチンによるウクライナ侵攻が生じる……というね。この監督が描いていた想像力の鋭さが、突きつけられました。彼の言う通りになっていますからね。彼はウクライナ人ですが、彼がまっさきに、「ロシアのプーチンの侵攻を許してはならない」と主張した訳です。一番強く言っていたのは、ロズニツァ監督なんですよ。彼は、ヨーロッパ・フィルム・アカデミーの、ロシアの侵攻に対する態度が弱すぎると。こんなことをやっていては駄目だと言った。それに対し、アカデミーは、映画の世界は映画だから、政治を持ち込むなと答える。ロシアの映画も認めようじゃないかと。それに、ロズニツァは厳しく対応する。彼は、ウクライナという自国の過去の負の歴史もね、「バビ・ヤール」で描いています。つまり、ナチス占領下のウクライナで起きたユダヤ人虐殺ですね。その際、ウクライナの民族主義団体やウクライナ警察が、手を貸していたのですよね。その、ウクライナの負の遺産を見つめる映画もきちんと作っているところが凄い。ロズニツァは、ウクライナ・フィルム・アカデミーに、国に泥を塗るのかと言われ、除名されたんです。“真実”を見る人間っていうのは、こんな目にあうのかと。ヨーロッパ側からも攻撃をくらい、ウクライナ側からも攻撃される。でも彼は、孤立しても、真実を語るために、自分が信じているものを、映画として、突きつけてくるのですね。私は本当に、その姿勢に感動します。

サニーフィルム 有田:

ちょっと付け加えますと、昨年の11月に、オランダでロズニツァ監督に会ったのですが、映画制作について質問したところ、ウクライナ・フィルム・エージェンシーから除名されたため、次作の制作資金の50%が凍結されたと。なぜなら公的資金だったからです。なので、監督はいまポーランドにいて、そこで「バビ・ヤール」のフィクション版を作ろうとしています。カンヌに出品する予定だそうです。

金平茂紀氏:

ロズニツァ監督の映画がなぜ重要なのかと言うと、彼の映画が突きつけてくるものを、考える必要があるからです。いま、なぜロシアが、ウクライナ、かつての兄弟国だった、仲間のようだったウクライナを侵略し、戦争を仕掛けているのか? この本質について、私たちは考えないといけないのです。これは、正義のウクライナを、邪悪なロシアが侵略している、正義が勝たなければならない戦争なのだ、と単純化してはならないのですね。正義のウクライナに武器を供与して、ウクライナが勝つまで応援する、といった話ではないのです。

ロシア人だって。この映画を観れば解るように、かつては圧政や独裁的な体制に対し、市民は街頭に出て戦ったのです。ウクライナのマイダン革命もそうですが、市民たちが広場に出てきて、抗議する。自分たちの声を、ちゃんと政治に反映させなきゃいけないと。直接行動を、ロシア人もかつては行っていた訳です。そのロシアがなぜ今、こうした動きになっているのか? ウクライナを侵略して、仲間である彼の地の住民を殺しているのか? このことについて考えることは重要で、その原因も、ちゃんとある訳です。そこを考え抜かないと、いま起きていることが、解らないのです。

実は、今年のお正月に、モスクワに自費で行ったんです。30年前に住んでいた所や、一緒に働いた仲間も、まだ生きているので訪ねたんです。あと、モスクワっ子たちが、お正月をどのように過ごしているのか知りたくてね。観光客として行ったので、観光地も全て行きました。赤の広場とか。グムとかルイノクという市場とか。それで、ロシア人たちの日常ですがね。これが、全く普通でした。ウクライナは大変な状況なのに、モスクワは関係ない感じで。局地戦争だから、プーチンがいずれ何とかするでしょう、という雰囲気で。そうした人々が多数派であることにショックを受けました。もちろん、限られた日数で、観光客として見ただけですからね。本当のところを、ロシア人がどう考えているかは解りませんけれども。この映画の出来事を体験した人もいますから。でも、人々の暮らし向きは普通で、物資も有り余っていました。おそらく、物を言う知識人やインテリたちは、既に国外に出ていて。いま、モスクワにいるのは、ロシア語しか話せない普通の人々で、ロシアで生きる以外の選択肢がない訳ですから。

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​和やかに話す場面では笑顔も見られました

今後、いまウクライナで行われている殺し合いを止めさせるには、どうしたらいいのか。本当は私たちは第三国で、当事者ではない。でも、戦争はダメだと思っている。たぶん、イメージフォーラムや第七藝術劇場に、この映画を観に来る人たちは、そこは一致していますよね。停戦休戦をして、これ以上の殺し合いは、もう止めさせようという点でね。私は、“正義の戦争”はないと思っている人間なので。戦争をやっている側は、自分たちの戦争は正義だと言いますけれども。私に言わせれば、戦争の本質は殺し合いで、敵を殺すことなので。一刻も早く、武器供与も含めて止めたほうがいい。そのことを、殺すな、と言い続けないといけないと考えています。

サニーフィルム 有田:この映画で、1991年に、「自由」と叫んでいたロシア人たち、映画のラストに宮殿広場で自由と変革を求めた8万人の人々は、いまどう思っているのでしょうかね?

やはり、継承や伝承は大事ですね。彼らの中には、いま絶望している人がいるかもしれない。ただ、私は諦めてはいけないと思っていて。ロシア人は、全員、邪悪な人々なんですか? 無力で、強い権力には黙っている人々なんですか? それが民族的な属性ですか? 日本人のほうがマシですか?権力に向かって、体を張って闘っていますか? 私はそうは思いません。ウクライナのことを悲しんでいるロシア人は大勢います。また、国から出られなかったロシア人の中にも、何かが変わらないといけないと思っている人はたくさんいると思うんです。そうした人々と連帯することを考えると、ウクライナに武器供与することは、逆効果だと思います。そのことについて、もっと考えないといけませんね。

もう一つ、「ミスター・ランズベルギス」を観た方は、どれぐらいいますか? あの、血の日曜日の事件の時、僕はヴィリニュスにいたんですね。リトアニアの。あの直後に、ロシア人3人と一緒に取材に行ったら、ホテル側が日本人は泊められるが、ロシア人はダメ、と言うのです。仕方がないから、他の宿をなんとか探して。まあ、あのソ連の特殊部隊によって市民が殺された直後でしたからね。あのバリケードがね。いま思うと、ランズベルギスが立て籠っていた最高会議ビルは、現代美術みたいでしたね。色んな所でバリケードを見ました。映画に登場するレニングラードのバリケードも凄いですが、モスクワのバリケードも、凄かったんですよ。リトアニアといえば、今でも思い出すのは、国葬です。全くの沈黙で。道路という道路に市民が佇んで、音楽もなく、ただ全員が立ち並んで、皆んな涙を流しながら、運ばれてくる棺を見ているんです。あの光景は、今でも昨日のことのように覚えています。それに比べると、昨年のあの人の国葬はね…。あと、ロズニツァが、スターリンの国葬のドキュメンタリーを撮っていますが。それぞれの国葬が、なんと違うのかと、考えさせられます。人を悼むという意味では、私は、ヴィリニュスの、血の日曜日の犠牲者の国葬を見て、こうして、国民が、自分たちの仲間に対して弔意を表する風景が、心に残っていまして。そこに立ち会っていたので、「ミスター・ランズベルギス」のあのシーンは、なんかもう涙がでてきますね。ランズベルギスという、元は音楽家だった人が、国の指導者になるという、リトアニアという国がね。実は、ウクライナからの難民を一番、きちんと、本気で受け入れているのが、リトアニアなのです。リトアニアの人々は、自分たちが、独立する際に流した血のこととか、ソ連の介入とかを体験しているので、他人事ではないのですよね。ポーランドも難民を受け入れていますが、もっと複雑です。ポーランドとウクライナは、過去に色々とありましたからね。

ロズニツァ監督は、ソ連とは何だったのか? プーチンが率いるロシアとは何なのか? そうした、考える材料を、ずっと与えてくれる人なので、ぜひお会いして、話を聞いてみたいと思っています。ここにいる皆さんは、映画の中のプーチンに気づいたのですよね。凄いですよ。あの若いプーチンが、サプチャークの横にいる、あのシーンは、本当に、色々なことを考えさせられます。サプチャークの死後、プーチンはエリツィンの側近になる訳ですけれども。エリツィンは晩年、酒浸りだったのです。アルコール中毒状態でした。普通、側近はそうした場合、酒を止めると思うのですが、プーチンはそうしたことはしていないでしょうね。そうして、プーチンが権力を掌握する。人は権力を一度握ると、そのうまみを知ってしまうので、絶対に手放したくなくなる。なぜかと言うと、権力を手放したら、自分が粛清されてしまうからです。自分がやったことを、今度は自分がされることを、権力者は恐れますから。だから、私が見る限り、プーチンがいる限りは、この戦争は終わらないのではないかと。ロシアが、内側から変わっていくには、かなり長い時間がかかると思います。ロシアの人々の未来について、私はロシアに住んでいたこともあるので、ロシア人には幸せになって欲しいし、ウクライナの人々はもっと、そうですよね。早く救われて欲しいと、願っています。

サニーフィルム 有田:

有難うございます。もっと、金平さんのお話、伺いたいのですが、残念ながら、時間が来てしまいました。大阪の皆さまも、有難うございました。金平さん、本日はお忙しいなか、本当に有難うございました。

金平茂紀氏:

有難うございました。

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終わらない戦争については厳しい表情で話していました

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