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ゆるぎない信念と交渉力でゴルバチョフ政権と戦った、初代リトアニア国家元首ヴィータウタス・ランズベルギスが語る熾烈な政治的闘争と文化的抵抗の記録。
ピアニストで国立音楽院の教授のヴィータウタス・ランズベルギスは、祖国リトアニアの主権とソ連邦からの独立を訴える政治組織サユディス(=運動の意味)の指導者となる。1990年3月11日の第一回リトアニア最高会議で初代最高会議議長に選出され、同日、ソ連に対して独立を宣言するとゴルバチョフとの対立が表立って激化する—— 独立の気運を高めた連帯“バルトの道”、経済封鎖による物価上昇と社会の混乱、首都ヴィリニュスでのソ連軍事パレードから事実上ペレストロイカの終焉を世界に告げたヴィリニュスの軍事占拠・“血の日曜日事件”などと、1980年後半から91年9月のリトアニア独立まで起きた劇的な事件をニュース映像などのアーカイヴフッテージを交えながらランズベルギス氏が語る。ゆるぎない信念と交渉力でゴルバチョフ政権と戦った、初代リトアニア国家元首ヴィータウタス・ランズベルギスが語る熾烈な政治的闘争と文化的抵抗の記録。
ヴィータウタス・ランズベルギス
1932年10月18日カナウス生まれ。音楽博士でリトアニア現代作家・ミカロユス・チュルリョーニスの研究者。オノ・ヨーコも参加した国際的な前衛芸術運動フルクサスのメンバーで、同会創設者で建築家のジョージ・ マチューナスと映画作家のジョナス・メカスとは同郷の親友。1988年、リトアニアの独立運動を指導するサユディスの創設に加わり、90年よりリトアニア共和国最高会議議長としてソ連からの独立を巡り戦う。ランズベルギスの交渉による政治闘争に対してゴルバチョフ政権は軍事力で封じ込めようとしたが失敗に終わり、リトアニアの独立は結果としてソ連崩壊へと繋がっていった。
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