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プロダクションノート

ジアード・クルスームと太田信吾は2018年11月15日にドイツのカッセルで出会った。翌年3月23日に日本で劇場公開される『セメントの記憶』(ジアード・クルスーム監督)のパンフレットに集録するための対談をするため、自身の舞台制作でエッセンに滞在していた太田信吾に、カッセルの映画祭に参加していたジアード・クルスームと合流してもらったのがきっかけだった。

 

TOKYO DOCS 2018に太田信吾の国際共同製作を目指す新作企画のピッチングを見に行った。その企画はすでにドキュ・メメントというイベントでピッチングされていて見ていたが、彼が英語でピッチングする姿を見るためだけにイベントに参加した。彼が世界中から集まった国営放送のコミッショニング・エディターに向けてピッチングした企画は『words, Dynamite』だ(現在、最終エディティング中)。

 

その企画は、2015年11月12日に、彼が演劇カンパニーのチェルフィッチュの劇団員として参加していたベイルートでの演劇公演の直前に起きたテロの経験が土台となっている。犯行声明を出したISISによる自爆テロで死んだ人は43名。公演を中止するべきか、それとも決行するべきか、劇団員は悩むが公演を決行した。セキュリティー警備が薄く、不特定多数が集まる演劇場で彼らはテロリズムの恐怖に怯えながら演劇をした。テロを経験した劇団員は帰国後、皆劇団を離れ、それぞれの道へと進んでいった。2017年、劇団は再起をかけた演劇をすることになり、太田信吾は劇団で唯一のテロ体験者として製作に参加することになった。ドキュメンタリーはその活動を追う企画だった。演劇は戦争やテロリズムに抗う力を持てるのか?

 

『セメントの記憶』の試写会でマスコミに配るパンフレットにジアード・クルスームの新しいインタビュー原稿を集録したいと思っていた時、太田信吾がドイツで滞在制作をしていることを知った。2018年11月12日、『セメントの記憶』のオンラインスクリーナーを送り、ベルリンにいるジアードと対談をしてほしいと太田信吾のfacebookにメッセージを送った。徹底した静けさと美しさで戦争の悲しみを表現しようとする『セメントの記憶』に、太田信吾はきっと触発されるだろうと確信していた。エッセンにいる太田信吾は、始発に乗りカッセルにいるジアードに3時間かけて会いに行ってくれた。彼がテロを体験してちょうど3年が経って二人の映画作家の対談は実現した。

 

パンフレットに掲載された対談は、あくまでジアードのインタビューということで、現場で交わされた太田信吾の意見は削ぎ落とされていた。帰国後、彼らが現場で何を語り合ったのか、太田信吾側の視点で二人の会話を知りたいと思い、年末に新潮社の友人にメールを送った。2019年1月15日、太田信吾と新潮社を訪問した。太田信吾がジアードと出会ってからちょうど3ヶ月後だった。3月発売の月刊「新潮」に太田信吾がジアードとの出会いについてエッセイを寄稿することになった。

 

3月7日に発行された「新潮」に寄稿されたエッセイ「溶解するセメントの記憶」には、太田信吾がベイルートで経験したテロの恐怖について、そして、パニック障害を患っていた過去について赤裸々に書かれていた。そのエッセイは、彼がジアードと会うことがいかに必然的であったかを感じさせた。そして、その後交わされる、二人のクリエイティブ・エクスチェンジに繋がることも理解させてくれた。

 

エッセイには太田信吾は当初映画を見ることを躊躇したとも書かれていた。エッセイには書かれていないが僕にはその理由がわかる。その話しはまたいつかトークイベントなどで話せば良いと思うのでここでは書かないが、ジアード・クルスームと太田信吾の交流とその背景にあったことをここに記した通りだ。二人はカッセルで別れる時再会を約束した。そして、互いに映画を作り続け、いつか一緒に映画を作ることを誓った。

 

ジアードは公開初日に合わせて来日することになった。当初彼の来日招聘は考えていなかった。過去に配給したシリア内戦をテーマにした映画の興行成績から、予算をかけて監督を呼ぶことはリスクにしかならなかった。しかし、様々な人に励まされ、そして最後は映画に背中を押してもらいジアードの来日招聘を決めた。ずっと悩んでいたことだったのでこの決断に自分は救われた。僕はすぐに太田信吾に連絡をした。

 

来日する事になったジアードと太田信吾を再会させようとした。しかし、お互い忙しくタイミングが合わせられない。ジアードは映画の宣伝。太田信吾は文化庁に提出する『word, Dynamite』の編集のつめ。ドイツではお互い軽々と国境を越えて会えたが、日本ではすぐそこにいるのに会うことができない。

 

直接会うことができない二人は、電話でもなく、メールでもなく、ヴォイスメッセージを残し合いながら語り合うことにした。ヴォイスメッセージはメールより慎重に物事を考えて発することになる。話す内容はさることながら、声のトーンやスピード感も意識する必要がある。そして録音されたヴォイスメッセージは、電話を受けるより自由にメッセージを聞くことができる。お互いの都合に合わせてメッセージを確認し、一番良い形で返答することができる。そのやりとりで自然に生じる時間のズレと、不自然な間を記録したのが『ラウンド トリップ ディレイ』だ。

 

『ラウンド トリップ ディレイ』は完成直後ユーロスペースで上映した。『セメントの記憶』の上映の直後、この短編を劇場で見た恵比寿映像祭のキュレーターは『セメントの記憶』で言葉を失った直後、二人が内省的に映画について語っているのを聞き、『セメントの記憶』で感じるべきポイントが整理された上で、自分は二人とは違ったことを感じていることに気がついたと語った。

 

『ラウンド トリップ ディレイ』は『セメントの記憶』をバーバライズするためのツール的な作品なのだろうか。

 

『ラウンド トリップ ディレイ』にはアナザーストーリーがある。この作品は実は未完成作品なのだ。ジアードがベルリンに帰国後、太田信吾は最後のヴォイスメッセージを吹き込んでいた。しかし、その答えがジアードから吹き込まれることはなかった。彼は帰国後、体調を崩し病院に入院していた。シリア政府軍に務めていた過去を持つジアードは、戦争のトラウマを抱え統合失調症を患っていたのだ。日本で映画について語ることは、彼にとってトラウマを呼び起こすことだったのかもしれない。日本滞在最終日、僕の葉山の家に泊めている時、彼はぽろっと言った。葉山の自然は静かで美しいけど、内戦の悲しみを思い出させる、と。

 

私たちは、ジアードからの最後のヴォイスメッセージが届くことを待ったが、ユーロスペース での上映も迫っていたので、最後のメッセージを入れることをやめてこの企画を終わらせることにした。短編『ラウンド トリップ ディレイ』とは何なのか。それは、時間、距離、友情、そしてそれぞれが抱える心の傷から生まれた映画なのだ。

サニーフィルム

 

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